マンセンゴ.NET>勝ち組への転換>1・5白書をもう一度



 2人だけのメモリー・・・麻雀に2人だけのメモリーもないと思うのですが、ゴロのよさでサブタイトルも今回はネタ元がかなり明確に判るものになってしまいましたが、1と5に対する意識に関して、この項ではまとめてみたいと思います。まあ麻雀は1人だけのメモリーですかね。自分自身の中でどんな思い出を残せるのか。派手に勝った記憶ばかり残っている人はおそらく相当負けてる人でしょうね。やられた記憶を脳裏にしっかり焼き付けて前進できている人が最終的に勝ちを収められる人になると思います。一流の投手は打たれた記憶しか残っていないそうです。そうした意識が次の勝負に対する研鑽に繋がっていくのでしょうね。
 麻雀の場合、1つ1つの局面だけを切って敗因を追求するのは難しいことです。たとえば勝負手の時のめくりあいで他家にあがりをさらわれてしまった時の、手順などを振り返ってみてもミスらしいミスをしていないことが多いと思います。当たり前の話、麻雀は4人でひとつのアガリを争っているわけですから、いつもいつも自分があがれるわけがないのです。おそらくそうした勝負手、手順も完璧、山にもあなたの待ち牌はうなっていたかもしれません。でも相手のアガリが1歩早かったのです。1局面だけ切り取って振り返れば、ないてハン数を落として、早いアガリにかけられていた反省点がある場合もあるかもしれませんが、条件があって面前をくずせない理由があるのであれば、その局面における敗因は無いのです。その半荘全体を検証しなおさなければならないでしょう。あるいはその日1日自体、いや、ここ最近・・・かもしれません。

 今から書くことはまたまた瑣末なことかもしれません。しかし勝率を1,2厘ぐらいあげられるかもしれません。いや考え方を応用すれば、あらゆる局面でこの考え方を反復できるかもしれません。アガリへのスピードに関してです。テンパイへのスピードに的を絞った戦術論だけでなく応用として、アガリへのスピードアップをはかる手筋もひとつひとつ覚えていかねばなりません。最終形が最終形なのか?この問答を常に手牌と場況に対して繰り広げたメモリーだけが、麻雀の技術力の蓄積となるのです。現在の形のアガリ牌と手替わり変化の牌と手替わり変化後のアガリ牌の比較検討作業です。これらツモ順によって翻弄されることもありますが、手の変化があるという認識をまず持たなければなりません。

 
 上記の牌姿。發に高目イーペイコも望めるテンパイになりました。テンパイの前のシャンテンの状態でもいいのですが、この時に考えることは何でしょうか。常に何の疑問もなく3筒を切ってますか?「5筒をきって9索狙いリーチもありますね」そういう解答もあるかもしれません。しかしこの形に遭遇した時、まずかんがえなければならないことは筒子の下の状態です。4-7筒の受けのアガリやすさが保証されているのなら、そのままの受けでイーペイコを狙えばいいでしょう。ただイーペイコのビジュアル的視角効果にだまされてはいけません。(このフレーズ「イーペイコのさばき」の項目でも書きましたね・・・)局面的にアガリ優先であるのなら、あるいは点数がほしいときでも筒子の下での手組みを優先させるべき時は6筒を打たねばならないのです。待ちは変わりません。4筒であがればイーペイコ逃しとなります。アガリ優先(オーラスアガリTOPなどの状況)であれば点数の多寡は問題ないと思います。問題なのはむしろ、その後の変化を考慮せずあがりを逃すことです。これ6筒切り後に2筒を引いて5筒を切れれば、1-4-7筒に受けが拡がります。アガリ安くなるのは間違いないでしょう。また4-7筒が薄いと読めれば、その後1筒引きでカン2筒に受けられます。アガれない両面より使われていないエリアのカンチャンで牌組できるようになってください。要は5という真ん中の牌と1(9)という端っこの牌を意識することによって、場況を読み、アガリ安さをはかり、5を軸に手牌の変化を読むクセをつけましょう。
 上記の手、たまたま設問がメンゼンなのでイーペイコというハン数が高くなるがゆえの落とし穴がありますが、アガリTOP、あるいは下のように副露している状態なら間違いなく6筒を切るのが手筋でしょう。
  ポン
何気ない1つの形に対する切り牌でも同卓していて、あるいは後ろで見ていて、その打ち手の雀力を計れるのです。相手が何の意識もなく3筒を切ってしまう打ち手であれば、その程度の打ち手です。しかし統計を出すとそういう打ち手の方が多いのです。ガチガチにセオリーを勉強している打ち手でも、いざという時にこの基本を見落としてしまっているものです。
 

  テンパイが入っていない時に34556という形に1を引けばカン2の受けが残るので、牌効率を重視する際には一応とっておくでしょう。この考えを発展させると序盤の手組みの際、1と5が孤立牌で残っている時、とりあえず1を残すことによって3の引きにより135のリャンカンを形成できるので、メンツ作りの種とする手筋があります。しかし1を切ると3引きでは35と持って、2をその後に引くとロスになってしまいます。しかしこれはツモ順のアヤでそうなってしまっただけかもしれません。筆者は序盤15とあったら割りと早く1を処理する打ち手に属します。後ろで見ているとき15の形を重視しファン牌を先に切る打ち手が増えています。別に否定はしませんが味はありません。形に依存してしまうのです、そういった打ち手は。筆者はリャンカンの意識をあまり持ちません。135とあっても2と4の濃度を常にはかっております。なぜならそこが最終形になった時困るじゃありませんか。序盤の手組でファン牌を先に切らないのも、そうした感性を養うための修行でもあります。(エネルギーを使わないという意識もあります。「愚形だらけの序盤」参照)どちらの牌が山に残っているのか、相手に不要で切ってくる牌なのか・・・その意識を持つために1と5の感覚、そこにはさまれた2・3・4の引き、ツモ順に対する意識。2、3の引きを考えれば1・5の形を温存するでしょう。よっぽど自信があって5の近辺がくっつかないと思う時は15とあっても5から切るかもしれません。形に頼る打ち手は15とあれば5からは切れませんが125とあれば5をきってきます。「1,2のペンチャンを嫌う」の項目でも書きましたが、3への意識というよりシャンテン数への意識でしょうね。手順が違うけど最終形が同じになるかもしれませんね。むろん手順は受け入れの広さばかりを優先させるのでなく、守備的意識との兼ね合いも含みますので、完成されたフォームの手順は、放銃を恐れなくても自然放銃も減り、あがりに向けて邁進できる手組になっているものです。手順が悪い打ち手のアガリへの道筋にタマタマ感がつきまとうのです。タマタマ相手への放銃牌を掴まずあがれた、タマタマ間違った手順ながらミスになる方の牌をひかなかった・・・と。
  ゴロが悪いので本項では1・5にしてますけど、もちろん5・9の意識も・・・5・9・・・号泣・・・こっちもなんかサブタイトルネタ的にはイケたっぽいなあ。


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