学生時代もっとも影響を受けた麻雀漫画が、この「勝負師の条件」です。麻雀漫画の第一人者・嶺岸信明氏のあのリアリティあふれる絵柄はたまりませんでした。そしてどい〜んの原作。後年この最高傑作の原作者が単なるダジャレ連発のオヤジだったことを知った時は衝撃を受けたものです。しかしこの作品の原作であるという尊敬の念は未だに消えることはありません。ビックリしたのは、最近できた新しい麻雀雑誌「麻雀王」になんとこの不朽の名作がリバイバル掲載されているではありませんか!そこでこの作品を知らない若い世代のためにも、ちょいとマンセンゴ.NET的にレビューしたいと思います。
「麻雀王」に掲載されている話は第2話でした。第1話は多分まだ連載が決まっていない段階での読みきり作品的な色合いが濃く、2話からが「勝負師の条件」と捕らえていいんではないでしょうか。1話はウルトラシリーズの「ウルトラQ」みたいな感じですね(わかりづらい例えですいません・・・)ただ1話は1話で完成度の高い話なのですが。この作品は2話以降も何回かマイナーチェンジをします。単行本が3巻出ているのですが、1巻が桂木主役編。桂木が普通の麻雀漫画的ヒーローとして描かれています。代打ちというより人助け的な行動が多く、冷静な勝負師というより、結構正義のヒーローっぽい活躍が(1話完結形式で)続きます。1巻の最後の前後編で宿命のライバル剣城が登場します。サシの1億勝負。ここでも無敵の桂木がラス前に勝負を決める3倍マンを剣城から直撃します。もはや戦意もないラス親の剣城が手にした配牌が・・・「天和」・・・剣城は屈辱にまみれた勝利を受け取ります。ちなみに剣城はその始めての登場シーンで「麻雀はアナログ、俺はポーカーみたいなデジタルな勝負事は弱いんだよ」と、若い衆からのポーカーの誘いをやんわりと断りながら、自分の麻雀論を展開しております。その最後のセリフが「麻雀には許せない役が2つだけある・・・天和と地和だ。こいつらは麻雀におけるデジタル。ツモのみだけの価値のないものに3万2千、4万8千はふざけてるぜ」と痺れるセリフを吐きながら、天和あがってしまうのでその時点でダメキャラの烙印を読者に押されてしまったことでしょう。ちなみに剣城はそれまで7回配牌であがっていたそうですが、いずれも倒さず手を作り直してあがったという伝説の持ち主だったのです。
この漫画の凄いところは、その次の話からこのダメ男・剣城が桂木に対して復讐の念に燃え、自分は代打ちを引退し、弟子を見つけ、その彼を徹底的に鍛えるスポコン話に変貌するところです。これが単行本2巻にあたる剣城と弟子・克己の師弟編です。このころからサブタイトルとして「勝負師の条件・赤と青の風」と名乗っていたような気がします。この克己という男は長野から自分の結婚式を逃げ出して上京してくる、ツキの塊のような男です。当初はツキに頼った打ち筋でしたが、剣城が時間をかけてアナログな勝負事としての麻雀を手ほどきしていきます。克己は当初剣城に反発していましたが、偶然他流試合で卓をかこんだのが桂木であることに気づき、その麻雀の強さに驚き、コテンパンにやられた後、彼も打倒桂木を誓い、剣城の言うことをきき始めます。剣城は見かけによらず弟子思いで、克己がよく指名するヘルス嬢に克己が来たときは恋人のように接してやってくれなどとお願いに行くお節介を焼いたりします。
単行本の3巻に入るあたりから、克己も代打ち勝負に出るようになり連戦連勝し、桂木との対戦を迎えます。桂木に対して序盤やられますが、ツキの流れが変わった時を逃さず克己の大攻勢が始まります。無敵のクールガイ・桂木も冷や汗を流しながら「さすが勝負を熟知した剣城。恐ろしい打ち手を見つけてきたものだ」と恐れ入ります。しかし桂木は反撃の機会を待ち、その期を逸せず形勢を逆転させていきます。しかし克己も最後のツキを振り絞り渾身の国士をツモあがります。しかしその国士が彼に残されていた最後のツキでした。連荘できず終了。敗戦した克己は廃人のように足元をふらつかせながら街をさまよい、結局電車にはねられてしまいます。ちょうどそのころ長野から克己の婚約者が克己を探しに東京に出てきていて、克己の轢かれるシーンに遭遇してしまいます。しかし克己は一命を取りとめます。剣城は「克己のツキの源はあげまんの彼女によるものではないか」という大胆な仮説をもっともらしい顔で述べます。
そしてラスト2話で再戦する桂木と剣城。このラスト2話が秀逸でした。ラス前が剣城の若いころのエピソードでラストの回が桂木の若いころのエピソードが描かれております。ともにこだわりある雀士で、ここまでの勝負を繰り広げられる理由がそこに見出せます。筆者は当初剣城の印象をヘタレキャラから弟子思いの優しいおじさんというふうに見方を変えて好感を持ちはじめておりましたが、この最後の話で猛烈に剣城が好きになりました。剣城の若いころは勿論手積みの時代で皆悪さをしていたわけですが、剣城は一切イカサマをしませんでした。自動卓の時代になり悪さで勝っていた当時の剣城の顔見知りの雀ゴロが「今の時代は喰えない。当時からイカサマに頼らなかったお前の信念はすごいぜ」みたいな敬意を表すのですが、それに対して答えた剣城のセリフは筆者の中では金言化しております。「一流のツモは一流の裏技に勝る。信念ではない、真実だ!」といいながら鋭い目で凄い手順でタンヤオ三暗刻三色同刻ドラ3を引きあがる剣城に完全ノックアウトです。この一流のツモというのは筆者がかなり意識している領域ですね。どんな技術を持ってしても、剛直な太いツモ筋を持つものには勝てない。どんなテクニシャンも人のツモ!の前には勝てませんよね。結局そのツモ筋を捕らえられる手順の確かさと感性が必要とされる領域と解しております。麻雀における速球派(本格派)みたいなイメージですかね。今のご祝儀重視麻雀であれば剣城のような雀士は最強なのではないでしょうか。
そして伝説の最終決戦のクライマックスは二人がヤクマンを張り、お互いのロン牌が共通で山に1枚しか残っていない状態になるというシーンを迎えます。
剣城手牌
桂木手牌
場に4索が1枚、9索が1枚飛んでいるので、剣城の2,3,6,9索待ちも実質は九蓮になる3索1枚残り。桂木の緑一色四暗刻2,3,4索待ちも3索のみしか残っておらず、たった1枚の3索をめぐる戦いになり、ラスト、手が伸びて3索を卓の右端に置く手が2頁ブチ抜きで描かれます。この漫画の粋なところはどちらがあがったのかわからないまま終了させているところです。2人の対立する勝負師に敬意を表し、どちらが主役なのか最後までわからなくさせるこの漫画に勝負の本質を見出せます。勝負には勝者と敗者が誕生します。桂木も剣城も「勝つ」ということが人生最大の目標であり勝ち続けるためにありとあらゆるものを犠牲にできる資質を持った2人です。その「勝つ」ということのダイナミズムを、この2人にいろいろなものを随所に投影させることによって、作者の勝負論を読者に投げかけることに成功しています。そこでこのストーリーの結末として偉大な勝負師である2人のどちらかを敗者にするのではなく、勝つまでの過程と考え方を伝えきったというところで漫画を終結させています。このことは作者の読者への良心でもあると思うのです。この一事をもってしてもこの漫画が他の麻雀漫画と一線を画する革新性を持っていることが伺えます。そして随所に麻雀のセオリーを盛り込み、作者が読者に麻雀の力をアップさせてほしいという思いが見て取れます。この辺も他の麻雀漫画のような力技に頼らない、骨太な闘牌シーンの連続で興趣尽きません。
とにかく「麻雀王」がすぐに廃刊に追い込まれないよう一勝負師の条件ファンとしては祈るばかりです。
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