ある日の筆者の手牌。345三色のイーシャンテン。3筒を引けば即リーチといったところか。ここで3索をツモ。皆さんこのツモをどう思いますか?場況、点数状況を考えないと難しいよという場合は東1局の子と仮定していただければいいかと思います。デジタル系の雀士なら間違いなくツモ切る何切る問題ですよね。これ私ツモ切れなかったんですよ。赤5筒2枚ルールで筒子のその周辺はあつくもたれているという直感がありました。また残り3枚の5筒(うち2枚は赤いわけですが)を軸にした手組みを想定させる捨て牌(他家が)だったので、6筒から切りました。筒子の引ける優先度は5-8筒よりも4-7筒の方が高いというのと、万が一5-8筒が先に入った後のマンズの形(ノベタンの選択)がやだったのと、索子の3-6索がいかにも生き筋っぽかったので大事にしたいという思いがありました。またマンズ雀頭の5-8筒は拒否したいという思いがありました。筒子は1メンツ、よくて+1雀頭という計算でした。
ツモ
後ろで観戦していた、そのお店の競技プロの従業員(デジ系?)がこの一打を見て「へぇー」それは感嘆なのか嘲笑なのかわからない声でした。一番萬子の3面張が手ごたえのある部分で、次が索子の3-6索という優先順位でした。実戦経過は九萬を引いて即リーチ。イッパツで6索を引きあがりました。
ツモ
赤・裏ドラなしのハネマン。従業員「うわー、あの手牌で一番期待値の高いあがりになった!」と唸っておりました。「普通はあそこは手広さを考えて3索をツモ切りませんか?」「3索が1枚上家に使われている気配ですが残り1枚山、さらに6索は2枚は生きているじゃないですか。3-6索はピンズ以上に生き筋だと読みましたから、ここに手をかけるわけにいかないんじゃないんですか」
や、本当はね心の中で上記のように思ったんだけど「やっぱり3索打ちですかねー。いや、さすがにプロの方は正着打が瞬時にわかるのですね。私はたまたま、うまくいっちゃいました」と答えてしまいました。ただ競技ルールではあなたのように打つとおっしゃってました。私は競技プロではないので、上の打ち筋がプロの公式戦での正着打かどうかは知りません。(その辺も向学心のため、教えていただきたいと思っております)その場合でも多分、何を切る的な問題でしたら7筒から処理するのが正着なんじゃないでしょうか。他家の手牌読みから推し量る残り牌枚数の予測は得意な方だと自負しております。それが自分の麻雀におけるレーダーであり、生命線だとも思っています。平面的な何切る問題では絶対に解決できないであろう手順で、もっとも早いスピードでもっとも高い手に育ててやる・・・私はそんな気概だけは常に持っております。
上の手順における思考はかなり柔軟だと思うのですが、ここまで到達するまでに頑な打法で負けがこんでいた時期がありました。(というより山が読めてなかった・・・)筆者はめちゃくちゃ手役が好きなのです。中でも三色は今でも(本当に)三度のメシより好きといって過言ではありません。なので三色になりそうな手牌を見ると猪突猛進にそれに向かっていき、キー牌をひかずに未完成に終わることが多々ありました。しかしやはり、作るからには三色をあがりたいのです。
一昔前は「ハイパイを見たら三色を考えろ」なんて格言があったくらいに、三色は意識しなければならない役のはずだったのですが、いまや誰もそんなことは言いません。たまにナチュラルに手を作って三色をカウントしないでハン数を数えている奴にさえ遭遇します。さて私はといえば・・・。
ツモ
悪いけどこんな赤5筒余裕でツモ切ってますよ。でその後黒5筒引くわけですが。6筒でロンをかけて5200・5両をあがって「それ5筒でマンセンツモってるじゃん、助かったー」と言われ様がこの打ち筋しか出来ませんよ。あ、某Sグループルールなら赤で役あるからシャンポンに受けるかな・・・いや断じてツモ切りだ(笑)
なんかこの項は必勝法というより自己紹介的なノリになってきておりますが、勝負事には意地や信念が大切ではないでしょうか?私は配牌で九種九牌で流したことはありません。同じ配牌は人生で2度とめぐり合わないそうです。すごい確率でこの手牌と出会ったのです。神様が与えてくれたこの手牌を自分の手で蓋をするくらいならば、麻雀をやめた方がいいと考えているからです。(あと国士も当然好きです)よしんばその1局(たとえばオーラス微差のTOP目で九種九牌が入り、流局すればTOPなのに、せずにTOP陥落したとしても・・・実話っす)悪い結果に終わろうとも、与えられた勝利より自力で勝ちを取りに行く姿勢が、その経験が次局、いや次の半荘、明日、3年後の・・・力強い麻雀に繋がっているはずです。勝ち組にまわるには1歩1歩日々の麻雀を疎かにしないという、取り組み方をして始めてそのスタートラインにつけると思うのです。本当に思い通りの麻雀が打てるようになるのに何年、何十年とかかると思うのです。いや、それくらいの覚悟を持たないと人を出し抜いて勝てないとも思います。目先の勝った負けたでは絶対に終わりたくありません。
勝つというのは負けてくれる人間を作り出す作業です。皆勝とうと思って麻雀をしているわけですから、おいそれと負けてくれません。圧倒的な強さを身につけるのには確実に制約を自分に課さない限り、レベルアップは望めないと思うのです。制約というといいすぎでしょうから「こだわり」ですかね。これがないとどんぐりの背比べを続けるだけの麻雀人生を送る気がします。勝つにせよ、負けるにせよ、自分なりのこだわりの麻雀を打つ。それが正着打であり、ひとつひとつの結果はどうでもいいとも思います。何の気概も信念も好きな手役も持たない無感性な、システマチックに与えられたセオリーに従っているだけの雀士には負けたくない。そのために自分なりの有為なセオリーを積み重ね、人間らしい生き生きとした麻雀を打ち、そしてできれば勝ちたいと思ってます。小学生の作文みたいになってスマソ・・・。
PS.好きな手役は三色ですが、ちなみに好きな牌はです。この牌がビジュアル的に一番美しいと感じてます。
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