これまで「勝ち組への転換」を書いてまいりましたけど、ぶっちゃけまだまだ抽象論の域を出ていない記述が多いなというのが筆者の感想です。抽象論と具体論を分け隔つ境界線の線引きは難しいもので、抽象論はいくら展開しても読み手がその真意を理解していなければ、言葉の上っ面だけを捉えて満足していくことでしょう。おそらく実戦では何の役にもたっていないケースが相当存在いたします。これが具体論になると、その真意を汲まなくても、真似するだけで結果がついてくる可能性があります。
既存の麻雀の戦術書は具体論で書かれている記述もあるけど、根っこの部分はほとんど抽象論です。一応読者からお金を取っているので、騙せない範囲で具体論ですが、すべてをさらけ出すのは諸事情で難しい問題です。対価のぶんだけ披露するか、という認識が正しいでしょう。なぜなら麻雀は手の内を悟られてはいけないゲームだからです。将棋や囲碁のように盤面が見えているゲームは定石を披露することがプロの努めですが、麻雀はこれに関して懐疑的です。
筆者は中学校の頃、「軍人将棋」というゲームにはまりました。これも対戦ゲームなのですが、奇怪なゲームで対戦するには対局者ともう1人「審判」が必要になります。プレイヤーは軍人の階級が書いてある駒を任意で盤面に裏返しで並べ、交互にひとつひとつ駒を動かして相手陣地に攻め入ります。駒と駒が同じ地点ではちあうと、そこで対戦します。当然裏返してありますから相手の駒が何なのかわかりません。ゆえに審判だけが裏返しした駒を取り上げ、勝った駒を盤面に残し、負けた駒は「死んだ、やられた」ことになり以後、使えなくなります。後で相手に聞かない限り、この勝負した相手の駒を特定するのは序盤の段階では困難で、勝負の終盤になると段々推定できるようになってきます。(駒の相対数と動き方が決まっているので)こうして自分の駒を駆使して相手の総司令部に「少佐」以上の階級のコマを進めると勝ちになるというゲームなのですが、このゲームの必勝法というものを聞いたことがありません。おそらく強い人にはその人なりの駒の配置の仕方があるのでしょうが、それをカミングアウトすること=敵に自分の情報を送っていることになり、次から勝てなくなる恐れが多分に増えます。ゆえにこのゲームに関しては必勝法や軍人将棋が強くなる本といったものが出版されることはないでしょう。セオリーを発表した段階で負けへの階段を歩み始めることになるのです。牌を裏返して戦う麻雀にもこれに通づる部分があるのではないかと筆者は思うのです。
*軍人将棋がオンラインでプレイできるサイト(さらにルール説明あり)
http://www.momokka.com/
常勝するための秘訣のひとつ。それは対人データの収集です。雀士の思想を探れ、です。世の中にはいろいろな戦術論が飛び交っております。数年前に比べてその接点が飛躍的に増えました。今まで書籍だけだったのが、ネット、衛星放送などからも強いと言われる人、あるいはプロと名乗る人々の戦術論を吸収する機会が増えました。戦術も百花繚乱。某プロ団体の著述する本には単なるモロひっかけを商品化していて、自分の打法として堂々と名づけている方もいて、この内容でお金取るのかよ!と憤慨してしまったことがあります。(なんでも下記の牌姿から、普通一萬を切るが五萬を切ってリーチ。単純な筋引っ掛けだがこのトラップにはまった相手はたまらない・・・なんて記述があるが、これにはまる奴がプロレベルの対局でいるのかよ!今日び点5の雀荘でもこれにハマる奴はいないぜ!って思わず突っ込んだけど、それ以上にこれを臆面も無く戦術論として紙面で語ること自体にあきれてしまいました)
このサイトは少なくてもそれよりは有意義なことが多少書いてあるのではないかと思っているのですが(その辺は読まれている方の判断ですので・・・)、無料で提供しているわけです。まあ大いに矛盾を感じているのですが・・・。
つまり普段何気なく対戦する相手も、おそらくこうした本を読んで有効だと思う戦術を取り入れている可能性が強いということです。麻雀は奥が限りなく深いゲームです。部分的に取り上げると下手を打った方が早く上がれるケースが数限りなくあります。数限りなくあるわけですから、それを下手といえないような気もしますが・・・。ただ何らかの発表されている手筋に照らし合わせると、それが正着打であるか誤打であるかという認識が生まれます。雀士は膨大な選択肢がある手筋の中から自分の中で思考を容易にするために、ある戦術書や著名プロの戦術を踏襲しているケースが多く見受けられるのです。つまり相手の流儀や信条をなにげない一言から得られると、それだけで相手の打牌の指針の一端を把握できるわけです。
昨年の麻雀デラックスの正月特番で古久根のリーチに対して、萩原聖人が安全牌を持っていない状態で選択した打牌はカンツの1筒をカンツ落としして、しのいだのですが、金子が解説で「3→5の切りで1-4筒はないと読めますからね。筒子は6-9かカン8なわけですから。(きちんとした手順で打牌する)相手を信頼しないと打てない打牌です」みたいな発言をしておりました。実際の待ちは3筒5筒の順で切られたカン8筒待ちだったわけです。その時筆者が痛感したのはこの1筒があたる恐怖感を与える麻雀を打っていなければ、いけないんじゃないか?と思いました。常にセオリックに順切りをしているとリーチ後に打てる牌の範囲を広げてしまうことになると思うのです。むろん対戦回数が少なければ、そうしたデータは得られないんでしょうが、雀荘を固定化して打つのであれば、常連の打ち筋を最低限チェックしておく必要性はあるのではないでしょうか?またそれに対して小島先生が「モロひっかけなんてみっともないから、やるなよ」というような発言をしておりました。彼の美学ではモロがけは許されないものらしいです。このようなことを公言することは筆者としてはあまり得策でないような気がします。勝つ為には相手に何をやってくるかわからないという恐怖感を与えなければ、勝ちきれないと思います。自分の流儀を1つ発表することによって10勝ぐらいの勝ちがスルスルと手からこぼれ落ちていくような気がします。もちろん「こだわり」を決めることはフォームを作ったり打ち手の魅力を増幅させる手段でもあるわけですから、一概には否定しませんが、一応そういった危険な部分もある認識を持っておいた方がよいでしょう。もちろん「こだわり」を決めてまわりに公言しないのであれば何ら問題ありません。制約を課して自分を強くすることはどんどんした方がいいと思います。
たとえば土田浩翔プロはピンフのみやリーチのみのリーチはかけないそうです。これを公言するメリットはどこにあるのでしょうか?常にそれを受け止めれば「土田のリーチは2600(親なら3900)以上は必ずある」ということになります。これはこけおどしとしては有効なプロパガンダ作戦だと筆者は思います。「あいつのリーチは高い」というイメージをもってもらうことは大事で、放銃して1300点とか2000点の手ばっかり見せていてはなめられます。むろんそういうイメージを見せて勝負どころで高い手を入れられる資質があればいいのですが。
一時期麻雀ジャーナリズムを席捲した「亜空間殺法」も常用していればブラフを見破られ、実戦で通用しなくなると思います。安藤プロも現在では原点回帰のようなセオリックな麻雀に徹しております。自分の戦略・戦術の一端を披露することは、勝敗を基盤とするプロという立場の人にとってかなりリスキーなような気がしてならないのです。むろん対価として印税という名のお金が入るのであれば、今後の勝敗と引き換えに戦術の一端を披露することもやぶさかではないんでしょうけど。
情報戦を制するために、まずしなければならないのは相手の打ち筋、打牌のクセの収集です。他家があがった手牌はあなたがあがれなくてどんなに悔しい場面でも、凝視しなければなりません。そこに沢山の情報が詰まっているのです。自分の戦術論を発表する機会のない街の雀士たちの戦術を探るには、あがった手と、言動がすべてです。又あがりもしないのに手を開けるタコの手はよく見れる機会がありますので、おこたらずチェックしましょう。大体自慢げにこの手牌からリーチのあたり牌のこれをつかんで降りた、と講釈をたれるでしょう。それだけでリーチへの対応がどうなのかという情報を得られます。(皆さんはくれぐれもこのようなカッコ悪く、なおかつ損なことは真似されないように)ファン牌のドラやオタ風のドラの切り時によって、こちらの手牌の合わせ方もまったく違ってきます。ドラをすぐ打ってくれるような打ち手ならポンの目を残すでしょうし、金輪際打たないタイプが相手なら枕にしてリーチと行くか、或いは他のファン牌を活かす算段に出なければならないでしょう。この辺は同じ手牌でも相手によって切る牌が異なってくるものです。その正解を導くものは日々の対戦の中での相手のデータなのです。
強い人は押し黙っているものです。饒舌になることは自分の打ち筋の情報を与えているようなものです。まずは対戦相手に自分のデータが取られないように、心がけましょう。むろんリーチや仕掛けによる相手に精神的なダメージを与える、有効なアガリを何回か見せておく必要性が絶対にあります。その時よりその後の戦い方に大きく影響を与えます。
また本を読みましょう。え?書いてることと矛盾するって?いえ、巷の打ち手も戦術書を読んで大方誰かの戦術を取り込もうとしているものです。つまり巷の雀士たちを啓蒙する書籍を読んで、把握し、逆に利用しなければなりません。巷の打ち筋のデフォルトを認識して、現代の麻雀の傾向をつかんでおくのです。
相手を把握するために長期にわたってリサーチし続けないといけません。麻雀で速攻で勝てる業なんてないのです。長期にわたって粘り強く、身になるかどうかわからいけど、いつか役立つ(であろう)ことを集積し続ける忍耐力だけが勝ち組への扉を開ける鍵になるはずです。
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